(あゆかわいずみ)
鮎川 いずみ(あゆかわ いずみ、1951年(昭和26年)3月8日 - )は、日本の実業家・俳優・歌手。別名義は鮎川 いづみ。本名:玉尾 千枝(たまお ちえ)。旧姓:加藤。
必殺シリーズで何でも屋の加代を演じたことで知られる。
東京都港区榎坂町(現・赤坂1丁目)出身。
1967年(昭和42年)、『また会う日まで 恋人の泉』に出演し、芸能界入り。1968年(昭和43年)にはミス宝くじ・幸運の女神のメンバーとなって活躍。
当初の芸名は名がいづみだった。デビュー作となった映画を制作した松竹のスタッフに「鮎川」は良い画数だからと勧められ、これに『恋人の泉』の泉うを合わせた。
その後、占い師から「総画数が良くない」と言われ、でも今更名前は変えたくないという思いもあったことで、1980年(昭和55年)にいずみに改め、朝日放送の金曜日の看板番組として長らく親しまれた『必殺シリーズ』、『ザ・ハングマンシリーズ』をはじめ、テレビ番組を中心に活躍。1982年(昭和57年)に放送された『必殺仕事人III』ではテーマソング「冬の花」も歌い日本有線大賞新人賞を受賞した。「冬の花」は20万枚近い売上を記録した。
『大岡越前』の準レギュラーだった1992年(平成4年)、プライベートで事故に遭い、足を骨折して3ヶ月入院し途中降板。その後、突如芸能界を引退した。演技に関しては努力しなかったわけではなく、むしろ相当な努力をしていたのだが、後に本人がインタビューで語ったところによれば「自分は芝居が下手だって気持ちがどこかにあって、芸能界には向かないと思い、決心をした。」とのこと。
その後広告代理店を経営するかたわら、1995年(平成7年)には野村総合研究所元専務・玉尾豊光と再婚。また2004年(平成16年)より化粧品「rich-lamella(リッチ・ラメラ)」を立ち上げる。芸能界は完全に引退したが、かつての『必殺シリーズ』の取材には応じている。
※ いずれもCBSソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)から、7インチレコードで発売。