(こんのぶるま)
紺野 ぶるま(こんの ぶるま、1986年9月30日 - )は、日本のお笑いタレント、女優、エッセイスト。静岡県・東京都出身。松竹芸能所属。
公称サイズは、身長172cm、B84cm・W64cm・H87cm → B85cm・W67cm・H83cm。
男兄弟の中で育つ。子供の頃、一円硬貨を飲み込んで救急車で搬送されたことがある。
高校は東京都内の私立女子高校に入学するも中退し、後に通信制高校に入学して卒業、高卒資格を取得。
当初はモデル・タレントを志し、多くの事務所のオーディションを受けて合格した結果、最初に所属した事務所から初期費用として50万円を請求されるなどして、半年ほどして明らかに怪しい所と気付くと、東京・原宿でスカウトされたのを機に移籍。しかし、そこからも初期費用を請求され怪しいと気付き退所。
トラブル続きでモデルになるのは諦め、更に体調を崩していた中でテレビでくまだまさしのネタを見て憧れ、そのような時に松竹芸能のチラシを見たことがきっかけで21歳の時に松竹芸能東京養成所に入所。この時はまだ勇気が無く芸人コースを選ぶことができず、タレントコースで入り、実際にモデルとして活動していたこともあった。しかし養成所のレッスンなどでよく笑いを取るようなことをしていたため、後に芸人を目指すようになる。
小学校からの幼馴染の女性を誘い、ブルマーを衣装とした女性コンビの『ブルマニアン』でライブ出演していたこともあったが、その当時の相方が就職先が決まったことでわずか半月で解散。その後、ピンでの活動となる。
2016年1月29日、自身初となる単独ライブ『ぶるま、夜の新宿でかけまくり』(東京・新宿角座)を行う。
2016年のM-1グランプリには、一緒にユニットライブをやっているたかまつなな、中村涼子とトリオ「たかぶるりょうこ」で出場し、2回戦まで進出。2021年のM-1グランプリではルシファー吉岡とのユニット「ぶるファー吉岡」で出場し、準々決勝まで進出。
2017年のR-1ぐらんぷりにて、初の準決勝進出。その後復活ステージを勝ち抜いて、決勝進出(結果はBブロック敗退)。2018年のR-1ぐらんぷりでも決勝進出を果たした。
2017年、第38回ABCお笑いグランプリで決勝進出。
女芸人No.1決定戦 THE Wでは2017年、2018年、2019年と続けて決勝進出。東京の芸人の中では決勝進出数が最多である。
平成最後の大安の日である2019年4月25日に婚姻届を提出し、会社員の一般人男性と結婚。結婚相手との出会いは居酒屋で、友人の女性と飲んでいた時にその男性からナンパを受け、更に「一目惚れした」としていきなりプロポーズされた。この時紺野は歯科助手を装っており、男性は紺野が芸人であることを知らなかった。紺野は結婚詐欺を疑って、誠意を確認するために保険証の提示を要求したところ、すぐに見せてくれたことで信用し、連絡先を交換した。結局紺野が芸人であることは後に発覚したが、その後も夫は応援してくれているという。最初は自分を「まだ芸人として中途半端」として結婚すべきかどうか迷っていたが、新宿角座で行われた笑福亭鶴瓶の落語会を見に行った後の打ち上げの席で鶴瓶に相談したところ、迷うなと後押ししてくれたことで踏み切れたという。
2022年2月22日、第1子妊娠を報告。
2022年4月13日、第1子出産を報告。
2023年2月19日に決勝戦が行われた、芸歴11年以上のピン芸人賞レース「Be-1グランプリ」(うすくら屋・シュースケ主催)にて、下ネタを封印し「かわいすぎる駅員」ネタを披露して優勝。
2023年8月4日、stand.fmでネットラジオを開始。
2023年秋、通信制大学に入学した。大学院まで進み、中学生時点で諦めていた心理学を勉強する予定。
高校時代の紺野は遅刻などで警告を何回か受けており、あと1回何かあったら退学という時に再び遅刻をし、この時門の前に立っていてきつく注意した校長にも、黒魔術という意味で校長の周りにその時食べていたおでんの汁をかけて丸で囲み悪態をついたこともあって、翌日親が呼び出された上で退学が告げられた。退学後、本人曰くやることも行く所も無くなり、規則も無い“ノールール”の生活となって「何をしても誰にも怒られることが無いので、生きているのか死んでいるのか分からない」という時間があり「自分は学生でも社会人でもない孤立した存在だと、どんどん卑下していった」という。そのような中で、当時『モーニング娘。』のメンバーだった辻希美と加護亜依をテレビで見て、すごくつらかったと話している。そして、将来への不安を思って中卒で成功した人を調べるなどしており、辞めた後に「中退って全然格好良くない」と思ったという。
紺野は高校を中退したことを非常に後悔しており、今でも高校で楽しく勉強している夢を見るとのこと。その一方で中退していなかったら芸人になっていなかったかもとも述べており、「中退したことで、ある種、高校という大きな組織から孤立し、一般的でないことが怖くなくなって、これが無かったらお笑いなんて怖いままで飛び込めなかった」とコメントしている。また、校則について「ルールがあるからこそ張り合いのある生活が送れる」「理不尽も言える校則は、大人になると襲ってくるもっと理不尽なことに耐えるための免疫」と、ルール全般についても「私たちを縛るものではなく、物事の良し悪しを判断するための基準」と持論を述べている。
高校生時代はギャル雑誌『egg』が好きだったこともあって、ギャルだったことがあったが、一方で中二病みたいな感じでもあったと話している。
文武両道な一面があり、日本史関係に趣味を持つ。書道1段、英検3級を持つ。中学生時代3年間やっていたバドミントンでは、東京都大会でベスト8の記録がある。その他、陸上競技も特技。小学生の時にやっていた習い事はピアノ、英語、バレエ、水泳、書道で、ピアノは6〜7年やっており、書道も初段の段位を持つ。
「女芸人の中で一番美人」であることを自称している。また、M-1グランプリの歴代優勝者を歴代内閣総理大臣以上に尊敬しているという。
時々、仕事で競輪や競艇の予想の仕事をすることがある。
水着のグラビアの時は、自ら「亀甲縛りスイムウェア」と言う変わったデザインの水着をよく着用している。下半身(股間)にカニこさえてますとも形容している。
すっぴんの顔は、メイクをしている時とは別人のような顔だという評判がある。本人は(2019年時点で)「最近はマンボウやしろさんにソックリと言われている」としていたり、「(元プロ野球選手の)糸井(嘉男)選手似」とも話している。
これまでにアルバイトは20種類ほどやって来たが、テレアポが2週間ほどで終わったのを始め、ほとんどが短い期間で終わっている。自ら「仕事下手で、人より仕事の覚えが遅かった」と話し、その中でベーグル屋の仕事が5年間と一番長く続いたことで「接客ではなく物と接する方が向いていた」とも話している。
2018年の『R-1ぐらんぷり』決勝では、同ブロックの出場者に視覚障害持ちの濱田祐太郎がおり、審査発表の際に紺野が濱田にモニターに映し出された動きを口頭で説明していた姿が、「いい人」とインターネット上で大きな話題となった。
デビュー当初は芸名の通り、ブルマーを衣装としていた。ブルマーを衣装にしようと思い立ったきっかけは、テレビで「ブルマパーティ」(くまだまさし、鈴木Q太郎(ハイキングウォーキング)がブルマーを履いてやっていたユニット)をテレビで視て笑い死にそうになったということで、「私もブルマを履いてこの中に入りたい」と思ったことからだったという。「手放しで喜べるようなアメリカ的な笑いをやりたかった」とも話している。この当時は、頭には大きなリボンを付け、上半身はチアリーダーのシャツやフラメンコ風の衣装などいくつかパターンがあった。この時の主なネタに、ブルマーを重ね着し、両手にシャウティングチキン(ニワトリのおもちゃ)を持って、シャウティングチキンを振り回しながらダンスをしたりしながら行うものがあった。この他、マジシャンに扮し、2枚重ねしていたブルマーを1枚脱いで「ブルマジック」と称したネタ、ブルマーに食パンを挟んで「はみパン」としたネタなども披露していた。この頃は不細工に見せようと思って、おかっぱなどの変わったかつらを被って出演していたことがあった。他には、レディー・ガガのようなかつらとキャラクターでネタを演じることもあった。ポーズをとって「オッケー!」と言うこともあった。最後は「サンキューブルマッチ!」という台詞で主に締めていた。この時は、ブルマーを穿くことで女を捨てての「愚の骨頂」を表現したつもりで、本人曰く「ネタの内容は全くエロくなかった」が、周りからは「女を武器にしている」と思われていたという(「女を武器にした女性芸人が苦手だった」「性別に関係なく割り切って見て欲しかった」などとも話している)。本人は「(高校は)女子高なので、周りに異性がいなかったから、ブルマ姿でいると面白いみたいな空気になる(という意識が染みついていた)」ということで「要は世間知らずだった」と話している。
ブルマーネタを評価したり褒めてくれる人もいたが、賞レースなどでは結果を出せず、「股間が気になってネタを見ていない」と言われたり、養成所の講師から酷評されたり、オーディションに行った時にディレクターからセクハラ的な口説きをされたなどもあって、結局世間とのズレを感じて、2011年~2012年以降は、ブルマーを衣装としたネタを実質上辞め、主に漫談、女子生徒、女教師などのキャラクターに扮した一人コント、「こんな女は嫌だ」などがテーマのいわゆる“あるあるネタ”でなどを披露している。なお、ブルマーネタを辞めた理由は先述の世間とのズレを感じたこと以外に、ブルマーを履いてネタをしても男性芸人には絶対に勝てないと気付いて「みんな自分の好きなお笑いでやっていけるわけじゃない」と思い直し、ブルマーネタはやりたかったけど諦めたとしたことや、「ブルマーもののアダルトビデオを観て急に恥ずかしくなった」こともあったからだという。
ねづっちのライブ「なぞかけライブ企画」に参加したのをきっかけになぞかけも始める。このライブに初めて出た時、ハンガーというお題が出た時にとっさに「ち○こと解きます」(現在は コンプライアンスの観点から ち○こ とは発言せずに カウンターベルを鳴らし音の後に「こ」と発言している)と返し、この時に客から「ち○こ」のアンコールが来たほど好評だったとのことで、以後何でも「ち○こ」で解くという「下ネタなぞかけ」を披露している。ネタが出来た時には、ねづっちの「整いました」のように「芽吹きました」と言っている。この台詞については、最初「濡れました」「滲みました」「果てました」などを考えていたが、直接的過ぎるなどと言うことで、官能小説で見つけた「芽吹く」という言葉を選んだという。なぞかけの後には、ねづっちの「ねづっちです」の台詞の時のポーズのように、胸の辺りをいじるポーズをとっている。これは元々、紺野自身がブラジャーを直す癖があり、このポーズをライブの時にやったらウケたので以後続けているという。なお、ねづっちとはその後も「なぞかけーず」というユニットで一緒に活動もしている。松竹芸能は下ネタに厳しい様な伝統的なものがあることから、最初このなぞかけは隠れてやっていたが、『お願い!ランキング』(テレビ朝日)で紹介され、またこの番組に木本武宏(TKO)も出演していたことから、松竹芸能の上層部も特に苦言を呈しなくなったことで、堂々とやれるようになったという。ただ元々このネタを始める前は、下ネタみたいなものは断固反対の立場だったという。
このなぞかけをするようになってからは、「今一番下品な女芸人」を自称している。なお、このネタについては、伊集院光ら多くの有名人も評価しているところがある。単独ライブのフライヤーは毎回アダルトビデオのジャケットをイメージさせるデザインにしている。
テレビのゴールデンタイムのある番組で、この「ち○こなぞかけ」を披露したが、全部カットされて放送されなかったということがあった。紺野曰く「日本の宝」と言われる大物ゲストがこのネタに大爆笑していたということで、この姿は放送出来ないと判断されたのではないか、と話している。
前述のブルマーネタを封印した時、下ネタも封印していたと思われていたが、元々兄が友達同士で話す下ネタが面白くて自然と影響を受けていたと思うと話し、また女子高でも日常的に周りと下ネタを言い合っていたということもあって「本当は下ネタが普通に好きだったのかも知れない」と話している。
上記のような下ネタなぞかけを行う一方で、自らをコミュニケーション能力の高い女などのキャラとしたストーリー仕立てのコントを演じている。この両種類のネタを使い分けており、ライブや賞レースでは後者の方を演じている。2017年のR-1ぐらんぷりでは、口が悪く皮肉や偏見に満ち溢れた外国人風占い師のコントを演じた。
物真似を演じていたこともあり、江角マキコ、木村多江、秋元才加、釈由美子などの物真似レパートリーを持つ。