(うちだあかり)
内田 あかり(うちだ あかり、1947年10月9日 ‐ )は、日本の女優、歌手。本名、大形 久仁子(おおがた くにこ)。大阪府出身。旧芸名、内田 明里(読み同じ)。 B85cm、W58cm、H80cm(1974年1月)。
本名の大形久仁子で地元のジャズ喫茶の歌手として活躍。その後、16歳でスカウトされ、1966年にTBSの連続テレビ・ドラマ「土曜日の虎」に藤久仁子の名で出演、1967年東芝レコードより「限りある日を愛に生きて」(この時の名前は本名の大形久仁子)でレコードデビュー。1968年に和田弘とマヒナスターズとデュエットし発売した「私って駄目な女ね」が50万枚 のヒット。しかし、ソロとしてはヒットに恵まれなかった。
デビュー7年目の1973年、CBSソニーに移籍。酒井政利プロデュースのもと、芸名を「内田あかり」に改名。この芸名の名付け親は作曲家の佐伯一郎で、霊感と骨相学の両面から考えられたとのこと。歌手はルックスが第一なので顔に重点を置いた上で「彼女の丸い顔に感じが似ている文字なので『内田』、あかりという名前はその丸い顔にいつも光が差しているように」という意味で名づけたという。衣装制作に山本寛斎、ジャケット画に上村一夫を迎え、大プロモーションをかけた「浮世絵の街」が70万枚の大ヒット。寛斎デザインによる同曲のキモノ・スタイルの薄いブラウス衣装は、デザイン料込みで120万円。テレビ等ではノーパンで歌唱したという。その後「浮世絵の街」が映画化された際には主演も務めた。1974年発売の「献身」は同じタイトルの曲が1967年に大形久仁子名義でシングルリリースされているが、これは同一歌手による、全くの同名異曲という、珍しいケースである。
1989年には奇抜な衣装と妖艶さを全面的に表した「好色一代女」が話題を呼び久々のヒットを記録した。同年、この曲は『日本レコード大賞』作詩賞を受賞している。
それ以後、女優としての活躍が増え、映画・テレビドラマなどが中心であったが、1999年に歌手活動を本格的に再開するにあたり、芸名を「内田明里」に改名した。その後2011年、元の内田あかりに戻している。