(なかがわともこ)
中川 智子(なかがわ ともこ、1947年(昭和22年)9月28日 - )は、日本の政治家。
兵庫県宝塚市長(3期)、衆議院議員(2期)を務めた。
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町生まれ。中学2年生まで大阪府貝塚市で育ち、横浜市へ転居。鶴見女子短期大学国文科卒業後、海運会社に就職。社内報を担当した。後の夫となる一目ぼれした人を追いかけて結婚。兵庫県川西市の夫の社宅に住んだあと、宝塚市に移住。子育てをしながら、3年かけて保育士の国家試験に合格した。
宝塚市にて、未就学児の保育施設を開設し、市民団体「宝塚学校給食を考える会」を立ち上げた。夫の転勤に伴い熊本県へ転居。
1995年1月、宝塚市で阪神・淡路大震災を経験。災害ボランティア団体「1.17その後の会」を結成した。リサイクル家電を仮設住宅の被災者に届ける活動を通じて、土井たか子の知遇を得る。
1996年9月27日、衆議院解散。翌9月28日、社会民主党の党首に土井たか子が復帰。10月4日、同党は「土井たか子を支える会」からメンバー3人を擁立することを決定。記者会見で、中川、ピースボート創立者の辻元清美は比例近畿ブロックから、ジャーナリストの保坂展人は比例東京ブロックから出馬することが発表された。それから4日後の10月8日、第41回衆議院議員総選挙が公示。党は辻元を比例の1位、中川を2位に登載した。保坂は東京22区に転じた。10月20日、投開票。社民党は近畿ブロックで2議席獲得。辻元と中川は初当選。保坂は小選挙区で敗れるも、比例復活で初当選した。中川は福島瑞穂、辻元、保坂、北川れん子らと共に「土井チルドレン」と呼ばれた。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では兵庫6区から出馬。選挙区では保守新党の小池百合子(現:東京都知事)に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、再選。社民党では政策審議会副会長を務めた。
2003年の第43回衆議院議員総選挙でも再度、兵庫6区より出馬するが、市村浩一郎(民主党)に敗れ、社民党が議席を大きく減らした煽りを受ける形で比例復活も出来ずに落選した。この際に一旦政界引退を表明した。同年、夫を病気で亡くす。
2005年に引退を撤回し、郵政民営化の是非が争点となった第44回衆議院議員総選挙で兵庫6区より再出馬した。しかし自由民主党新人の木挽司に大敗し、3度目の小選挙区出馬で初の供託金没収となった。落選後は政界から距離を置き、主に講演活動に取り組んでいた。
2009年2月19日、宝塚市長の阪上善秀が霊園の造成事業に関わる収賄容疑で逮捕される。2月27日、阪上は市長を辞職。中川は社民党に離党届を提出し、4月3日に無所属での立候補を表明した。4月19日に行われた市長選で、元県議の伊藤順一ら6名が立候補した乱戦を制して初当選。5年半ぶりに政界に復帰した。女性市長は日本で18人目であり、兵庫県では北村春江(芦屋市)・白井文(尼崎市)に次いで3人目。
※当日有権者数:179,989人 最終投票率:44.20%(前回比:pts)
2013年4月14日執行。元宝塚市長の渡部完、日本維新の会公認(みんなの党推薦)の前市議の多田浩一郎らを破り再選。
※当日有権者数:183,974人 最終投票率:45.94%(前回比:+1.74pts)
2017年4月16日執行。前市議の伊藤順一、前市議で元宝塚歌劇団女優の山本敬子(芸名は鳳城ひろき)を破り3選。
※当日有権者数:190,047人 最終投票率:39.13%(前回比:-6.81pts)
2020年12月8日、任期満了に伴う翌年4月の市長選挙に立候補せず政界から引退する意向を示した。