(さとうゆかり)
佐藤 ゆかり(さとう ゆかり、1961年8月19日 - )は、日本の政治家。株式会社フューチャーアナリティクス代表取締役、ホソカワミクロン株式会社社外取締役、関西学院大学フェロー。
衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、経済産業大臣政務官(第2次安倍内閣)、自由民主党副幹事長、総務副大臣兼内閣府副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、環境副大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、自由民主党政務調査会経済産業部会長、中央大学大学院客員教授などを歴任。
東京都世田谷区生まれ。世田谷区立代沢小学校を卒業。幼少期には、実家の近隣に私邸のあった佐藤栄作夫妻と親交があった。中学・高校時代は静岡県の不二聖心女子学院中学校・高等学校で6年間寄宿生活を送る。
16年間に渡る海外在住を経て、1998年に米国から帰国し、2005年の衆議院総選挙に出るまでの間、外資系投資銀行のエコノミストとして勤務。大学でも経済学の教鞭を取り、経済産業省、財務省の審議会などで委員として提言も行なっていた。
2005年8月、郵政解散を受けた第44回衆議院総選挙で、自由民主党の候補者公募で郵政関連法案に反対した野田聖子元郵政大臣への対抗馬として岐阜1区から出馬を要請された。小選挙区では落選したが、比例東海ブロックでは名簿1位に登載されていたため、比例復活当選を果たしたが、党の調整で2008年1月、自民党は世論調査で僅差で優勢な野田聖子を同選挙区の公認候補とする方針を決定した。協議の結果、佐藤の東京5区への国替えが決まり、党本部で野田・佐藤両者がそろって記者会見を行った。
2009年8月30日の第45回衆議院総選挙では東京5区から立候補したが、政権交代前の自民党への大逆風に加えて、小杉隆元衆議院議員の夫人の巨額の借金問題も残されるなかで、民主党の手塚仁雄に敗れ、さらに比例東京ブロックでも惜敗率が及ばず落選した。
2010年7月、第22回参議院比例代表選挙に党公認で出馬し、当選。高村派に所属した。2014年には衆議院山形3区からの出馬に意欲を見せたが、自民党山形県連がつけた『参院議員が応募する場合は、辞職してから』という公募の条件に反発。同年5月に出馬断念を表明。同年11月21日、参議院議員を辞職し、翌12月、第47回衆議院総選挙にて衆議院大阪11区に鞍替え立候補し、小選挙区で当選した。
2017年9月、二階派に入会。同年10月の第48回衆議院総選挙では大阪11区で再び立候補したが、日本共産党が候補者の擁立を見送ったこともあり、民進党系無所属の平野博文に共産票が流れた結果、平野が当選。佐藤は次点で落選し比例近畿ブロックで復活当選した。
2021年10月の第49回衆議院総選挙では引き続き大阪11区で立候補したが、日本維新の会所属で元枚方市長の中司宏が初当選し、比例復活できず落選した。
2023年7月4日、自民党は同年4月の第20回統一地方選挙や前回衆院選での大阪府下での惨敗を受け、佐藤が支部長を務める大阪11区を含む大阪の6小選挙区で支部長の再公募を実施すると決定。7月18日、佐藤は大阪府枚方市で記者会見し、党の方針に苦言を呈し、支部長公募に応じず、次期衆院選に出馬しない意向を表明した。
2023年7月半ば、佐藤は従来運営していた有限会社21世紀経済研究会を称号変更し、株式会社フューチャーアナリティクスの社名でシンクタンク・コンサルティング会社の経営を本格的に始めた。このほか、2021年12月からホソカワミクロン株式会社(東証プライム市場上場)の社外取締役を務める一方、関西学院大学のフェローとして、日本の経済安全保障などに関する英語での講義を行なっている。