(あいぞめきょうこ(あおやまりょうこ))
愛染 恭子(あいぞめ きょうこ、1958年2月9日 - )は、日本のポルノ監督、元ポルノ女優、元AV女優。旧芸名、青山 涼子(あおやま りょうこ)。本名:山崎恭子。千葉県野田市出身。
父方の祖母がカナダ人というクオーター。幼少の頃は髪が金髪であったと、本人が『週刊文春』のインタビューで答えている。
東京都立忍岡高等学校卒業後にスカウトされ、ヌードモデルとして活動していたが、青山涼子の芸名で1975年にピンク映画『痴漢地下鉄』でデビュー(一部の資料では、青山京子、青山淳子となっているが、いずれも誤り)。その後、20本ほどのピンク映画に出演する。
1981年、『白日夢』の主演に抜擢され、本番行為を演じたことを契機に、愛染恭子と改名。映画がヒットするとストリップ劇団を旗揚げし、ドサ回りを始め、映画・ビデオ・ビニ本・自伝などを合わせ、3年間で25億円稼ぎまくった。母が千葉カントリークラブ野田コースでキャディをやっていたこともあり、親孝行で同コースの脇に敷地462平方メートル、建坪165平方メートルの建設費1億円の白亜の豪邸を建てた。
1983年1月、大阪市・十三のストリップ劇場に出演中に公然わいせつの現行犯で逮捕され、罰金5万円の命令を受けた。同年7月には横浜でも同罪で逮捕、起訴猶予となっている。釈放されるとすぐにファンの待つ地方のストリップ劇場に飛んで行くプロ根性の持ち主であった。
1984年、アダルトビデオ作品『ザ・サバイバル』の処女喪失シーン撮影のために高須クリニックで処女膜再生手術を受け、実際の手術の映像が作品内で使用された。
1994年7月にストリップ界から引退、以降はアダルトビデオを中心に活動。
2007年4月24日、自身と親密な付き合いのある男性と淫行をした中学3年生の姪を殴るなどして負傷させたとして千葉県野田警察署に傷害の疑いで逮捕され、松戸簡易裁判所から罰金50万円の略式命令を受け、即日納付後に釈放された。
2010年3月公開の団鬼六原作の映画『奴隷船』をもってヌード出演からは引退する、と公表した。「脱ぎ」無しでの女優業や映画製作に専念するといい、団からは「これが脱ぎおさめになるとは残念」というメッセージが寄せられた。なお、実際のヌード引退は2010年3月7日に行われた埼玉県のストリップ劇場「わらびミニ劇場」での公演となり、3月5日 - 7日の3日間に12回のストリップステージを務めた。
アダルトグッズなどを販売する会社でデザイナーを務めたこともあったが、現在は、監督・女優業のほか、Twitterでフォロワーの恋の悩みや相談にも乗っている。
18歳でヌードモデルとしてデビューしたが、その時はまだ処女であったことを明かしている。その時の撮影ではスタッフに指示され、自分で自分の乳首を触り勃起させたというエピソードも明かしている(同時に処女喪失は20歳の時とも答えている)。
『白日夢』への出演は武智鉄二監督の「この作品は世界的に有名になる。君も有名になる」という一言で決意した。また、美しい世界観を表現したいという武智の思いに賛同したというところも大きいという。同作の出演で周囲の人間から白い目で見られ、道行く人にも「誰とでもやるんだろう」といわれるため、大きなサングラスに大きな帽子をかぶるなど変装して出歩くようになった。しかし、愛染が母親に家をプレゼントしたということが報道されると、周囲の評価は好意的なものに変わった。
2010年(平成22年)3月、雑誌の取材で石垣島から新城島に向かっていた際、竹富島近海で乗船していたプレジャーボートが炎上する事故に巻き込まれたが、愛染ら乗員・乗客は近くを航行していた旅客船に救助された。このことは出演した映画『奴隷船』初日で舞台挨拶を行なった愛染が明らかにした。
代々木忠監督による女番長作品出演時は、シンナー遊びしている役作りのため、前歯を抜いて撮影に臨んだ。
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