(ゆうきひとみ(なかやまあんな))
憂木 瞳(ゆうき ひとみ、1973年8月31日 - )は、日本のAV女優。1990年代前半を代表するAV女優の1人で、芸名にいくつかの変名歴がある。憂木瞳名義でのデビュー時は、1973年10月30日生まれ、T162/B83/W58/H88、A型。中山アンナ名義では、1973年4月14日生まれ、T162/B83/W56/H85、O型。MOODYZ時代は1973年8月30日生まれ、T160/B88/W58/H86、AB型。以上のような複数のプロフィールがある。
父方の祖母がドイツ人である。
東京都出身。学生時代はサッカー部のマネージャーをしており、サッカー部レギュラー11人中7人と関係があったという。
美容専門学校に通っていた時に新宿でスカウトされ、1992年12月、「憂木瞳」名義の『危ない寄り道帰り道』(VIP)でデビュー。
翌1993年1月には「中山アンナ」名義の『おねだり女子校生 うしろから課外授業』(ミス・クリスティーヌ)が発売され、1993年前半までは「憂木瞳」と「中山アンナ」の両名義で活動した。
デビュー時は芸名に通じる工藤夕貴似であることが指摘されることも多く、「工藤あずさ」名義でのグラビア出演もあった。
あどけないベビーフェイスに加え、色白でスタイルの良いボディ、ハードな本番路線のカラミにより、AVメーカーとの専属契約がなかったにもかかわらず人気が上昇、トップAVアイドルの一人に数えられるようになった。
1993年半ばより出演した『ギルガメッシュないと』(テレビ東京)では、『夜食バンザイ』というコーナーで披露した「裸エプロン」姿が大きな反響を呼び、細川ふみえ、飯島愛に続く番組の看板アイドルになった。
『ギルガメッシュないと』の番組企画の一環として、1993年12月にはイジリー岡田とデュエットしたシングル、『マンゴ・ナタデ・ココ』(ポニーキャニオン)をリリース。また1994年3月にはやはり同番組の関連イベントでストリップ劇場・浅草ロック座に特別出演し、定員300人のところに1000人の客が押し寄せるという人気ぶりを見せた。
しかし同年4月、番組の収録中に急病で病院にかつぎ込まれたのに続き、6月には収録現場に現れないというトラブルが発生し、同月6月17日に事務所側が急遽引退を発表した。
引退について、当時は病気による体力的な問題と、交際相手の反対が理由と報じられたが、後年のインタビューでは、テレビ出演によるプレッシャーを抱えていたことと、諸般の事情で結婚の必要が生じていたことを理由に挙げている。交際相手とは結婚したものの、2年後に離婚。その間、1995年5月には『ギルガメッシュないと』に復活。同年6月には浅草ロック座でストリップに再デビューし、2000年代以降も一時的な休業期間をはさみつつ、舞台活動を続けている。
2002年2月には「憂木ひとみ」と芸名を改め、『新生』(セクシア)でAVに復帰。同年10月には『憂木ひとみの個人教授 ボクの素敵なえりかちゃん』(ソフト・オン・デマンド)でインディーズデビューした。
AVでの活動は1年ほどでいったん終了したが、その後2004年9月には芸名を「憂木瞳」に戻し、『僕らのアイドル憂木瞳がパイパンアナルで復活』(ワンズファクトリー)で再々デビュー。ややスローペースながら新作のリリースが続いている。
2012年、芸名を「石黒樹里」に変えて復帰した。
特筆していないものは憂木瞳名義
憂木瞳 名義
憂木瞳 名義
憂木瞳&イジリー岡田 名義
憂木瞳 名義
憂木瞳 名義
憂木瞳 名義
憂木瞳 名義
憂木ひとみ 名義