(こうづきやや(はやしえり))
光月 夜也(こうづき やや、1975年10月7日 - )は、日本の元AV女優。元ピンサロ嬢。元ソープ嬢。東京都出身。血液型O型。ロシア系クォーター。
ポールダンスを習っている。作品の中でパフォーマンスも披露する。
中2の終わり、14歳で、ナンパされた男性に無理やりヤラれて初セックスを経験した。その男性にフェラを教えてもらう。高校には行かず、16歳で結婚、一人息子を出産した。
元夫の家庭内暴力が原因で18歳で離婚。シングルマザーになる。18歳(1993年頃)よりピンクサロン「平塚ジャンジャン」に在籍(源氏名は「南(みなみ)」)。稼いだお金は、別れた元夫の借金返済にあてられた。
その美貌と卓越したフェラテクでナンバーワンとなり、彼女を待つ行列が出来る人気を誇り今では語り草となっている。見せるフェラではなく、ピンサロ仕込みの気持ちいいイカせるフェラが得意。最盛期には、一日40人のペニスをヌイていた。アダルトビデオ雑誌で「AV男優が選ぶフェラチオが上手い女優ランキング」で1位を獲得した。
フードルとして人気を博しグラビアにも登場するようになっていく。
1996年4月、20歳で、『美神の唇』(アテナ映像)でAVデビュー。デビュー作の相手は、加藤鷹とチョコボール向井。圧倒的なスピードで、チョコボール向井をフェラでイカセてザーメンを搾り取った。デビュー当時、「ナンバー1になりたい」と頻繁に口にしていた。ピンサロでの源氏名にちなみ「星野南(ほしの みなみ)」として2本の作品に出演した後、「光月夜也」に改名(名付け親は愛染恭子)した。
1997年2月、「第6回東スポ映画大賞主演女優賞」を受賞した。審査員長のビートたけしからトロフィーを渡され、目には涙が光っていた 。
その後、AV女優を一時引退。芸名を「林絵理(はやし えり)」と改め、Vシネマなど一般作品に出演。この時期28歳で再婚。
程なくAVに復帰し、インディーズ系メーカーの作品に2003年まで出演。芸名はそのまま「林絵理」としていたが、パッケージには必ず、“(光月夜也)”や“元 光月夜也”と記載され、結局は「光月夜也」に落ち着いた。
2回目のAV引退の後、2004年3月12日、神奈川県小田原市にパブ「ルナール・フェアリー」をOPENするが、2004年7月6日、すぐに閉店。お店で知り合った男性と恋愛になるが、相手は既婚者で不倫関係だった。男性は、「妻と別れる」と言ったが、結局別れてくれず、結婚しなかった。
吉原のオートクチュールで、ソープ嬢として勤務。
2008年7月、公式ブログでAVへの復帰を発表。ネットでは復帰作は黒人との本番になるのではないかと話題を集めた。
2008年12月に『復活!光月夜也』(マックス・エー)で黒人との本番を披露しファンの度肝を抜いた。マックス・エーは、光月夜也の美貌を際立たせるために黒人やブサイクを選んでセックスさせる。
2008年12月ほぼ同時リリースとなった『光月夜也、AV復活×本番解禁。』(プレミアム)で復活への想いを「20代の頃とは明らかに変わった私を見せたい。それは内面からくるエロさ」と語った。
2009年2月に台湾でイベントを開催。光月夜也は現地のメディアにも取り上げられる人気ぶりだった。
2010年3月、『夫の目の前で犯されて- 義弟の暴走 光月夜也』(アタッカーズ)を最後に引退。最後の作品で、中出しを解禁した。
AV男優・黒田悠斗は、雑誌の取材で「できればもう一度挿れたいマンコ五撰」で第4位に光月夜也を挙げている。
2010年12月「光月夜也 × MELANCHOLICIA」のユニット名で、iTunes Storeよりダウンロード配信のアルバム「心脳心象 - ハカナキコトバ -」をリリースした。
2020年以降、モザイク復元処理がなされた光月夜也の作品が、インターネット上に流通し出した。復元処理されたアダルトビデオ作品は、モザイク破壊版と呼ばれる。ファンは、モザイクがない光月夜也のマンコやフェラが見れるようになった。
※以下は、18禁サイト