(ごとうえりこ)
後藤 えり子(ごとう えりこ、1968年8月24日 - )は日本の元AV女優。1980年代後半から1990年代前半にかけて人気を博し、趣味がディスコ通いというバブルの時代を体現した女優としてもてはやされる。特技はダンス。
西崎彩名義で1988年にデビュー、その後、後藤えり子に改名する。聖心女子大学中退で、中学、高校も聖心という肩書がデビュー時に各週刊誌の話題となるが、当時は女子大生AV女優が話題となっていた時期で、実際は北海道にある同系列の専門学校であった。
1989年には11PM(日本テレビ)のカバーガールにも抜擢され、姫TV(テレビ朝日)、EXテレビ(日本テレビ)朝まで生テレビ!(テレビ朝日)などテレビ出演も積極的にこなす。
1990年4月、引退してマネージメントなどAVの裏方を経験し、その後アメリカに語学留学する。学生時代にはスチュワーデスを志し、英検2級を取得していた。
1991年6月に帰国し、自宅に事務所を置きプロダクション『オフィス Erie』を立ち上げる。設立資金はすべてAV時代の収入でまかなった。「有名なヌードモデルを育てたい。ポスト後藤えり子を世に出したい。」「業界No.1の子を育てる。」という目標は、飯島愛の発掘によって見事に結実する。飯島愛の『プラトニック・セックス』の吉村理沙は、後藤がモデルであると言われる。他に伊藤真紀もオフィス Erie出身であり、本人もAVへ復帰する。
1993年9月21日から10月10日まで20日間にわたって、浅草ロック座にて後藤えり子ショーと称してストリッパーとしても華々しく活躍する。
実業家志向が強く、自身の事務所所属の女優や一般女性とのテレビ電話が楽しめるという新手のテレクラ業にも進出、9月には世田谷区三軒茶屋に日焼けサロン『ラハイナ』をオープンしたが、同年私財を処分して語学修業とネイルアートの勉強のため再度アメリカに渡航、その期間は2年に渡った。
1995年に帰国後、渋谷にネイルサロンを開店、さらにアパレル産業にも進出するがどちらも経営不振であえなく撤退する。
ストリッパーとして日本全国を転々としていたが、1997年10月15日、内偵中だった神奈川県警察川崎警察署が川崎ロック座の公演で、最終日を待って楽屋に踏み込み大麻取締法で逮捕される。